松平 康親(まつだいら やすちか)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、江戸幕府旗本。福釜松平家4代当主。
生涯
天正9年(1581年)、父の親俊が死去した。康親はまだ幼年であった(「いまだいとけなし」)が、型通りの家督相続が認められ、徳川家康に仕えた。
天正18年(1590年)、徳川家康が関東に入国した際に、下総国香取郡・武蔵国多摩郡で若干の知行地を与えられた。慶長元年(1596年)に大番頭となるが、のちに辞職。慶長5年(1600年)の関ケ原の合戦後、福釜の旧領に帰らせた。
慶長10年(1605年)8月7日、従五位下に叙せられ筑後守に任じられるとともに、家康の偏諱を与えられて「康親」と称する。この由緒から、子孫も諱に「康」の字を用いた。この慶長10年より伏見城番を務めた。
両度の大坂の陣にも従軍した。元和3年(1617年)2月23日、福釜において死去、51歳。
『寛政譜』によれば、初代親盛から4代康親までは福釜の宝泉院を葬地としたという。現代では宝泉院の西100mほどの場所にある「松平墓地(福釜城主墓域)」に、初代親盛から5代康盛までの福釜松平家歴代の墓が移されている。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻第四「松平 福釜」
- 『寛政重修諸家譜 第一輯』(国民図書、1922年) NDLJP:1082717/20
- 『新訂寛政重修諸家譜 第一』(続群書類従刊行会、1964年)
外部リンク




