松崎 観海(まつざき かんかい、1725年6月14日(享保10年5月4日)- 1776年1月14日(安永4年12月23日))は、江戸時代中期の儒学者、漢詩人である。名は惟時、字は君脩(君修とも)、子黙。通称は才蔵。
経歴・人物
丹波の篠山藩士であった松崎観瀾の子として生まれる。幼年期より父から儒学を学び、後に江戸で太宰春台及び高野蘭亭の門人となった。儒学以外にも漢文等の詩歌や剣術を武藤良夫から学んだ。
1746年(延享3年)、父が仕えられていた篠山藩付の松平家の家老を勇退した事により、観海を後継者として継がせた。観海が学んだ儒学や詩歌は後に多くの儒学者に反響を及んだ。
主な著作物
- 『観海(先生)集』- 詩文集。
脚注
![Till The Stars Fall From The Sky — ch15 「松崎海ちゃん」/「色」のイラスト [pixiv]](http://68.media.tumblr.com/tumblr_lp0gjuy4BI1qaugc4o1_500.jpg)



