徐 愛(じょ あい、1487年(成化23年) - 1517年(正徳12年))は、中国明代の陽明学者。字は曰仁、号は横山。紹興府余姚県の出身(王陽明とは同郷である)。早くから王陽明に従い、王陽明の妹を妻に娶った。『伝習録』序文と上巻十四条の筆録者。

王陽明から「曰仁は我が門の顔回だ」と評されたが、顔回と同じく31歳で病没し、王陽明は食事も喉を通らぬほどに悲しんだという。

陽明学について語った言葉

「心はいわば鏡だ。ただ、聖人の心は明鏡であり、常人の心は曇った鏡である。近世の格物の説は、鏡で物を映す場合にたとえれば、映すことに功夫を集中するだけで、鏡が曇っているかどうかを問題にしないというのだから、これではいったい物が映るわけがない。陽明先生の格物は、いわば、鏡を磨いて透明にするというわけで、磨くということに功夫を集中するのだから、透明になった後は、あらゆるものをいつでも映しだすことができる。」

参考文献

  • 中田勝『王陽明 徐愛 「伝習録集評」』鈴木利定校閲、明徳出版社、2016年
  • 山田準『伝習録講話』明徳出版社、2001年
  • 『伝習録』溝口雄三訳、中央公論新社〈中公クラシックス〉、2005年

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