孟 徳(もう とく、生没年不詳)は、モンゴル帝国(大元ウルス)に仕えた漢人将軍の一人。済南府の出身。

生涯

孟徳はモンゴル帝国に初期から仕え、鄒平県令・淄州節度使を経て同知済南路事に任命された人物であった。1236年(丙申)、陝西・四川方面を統括する諸王コデンが孟徳を元帥に任じ、孟徳は済南路の軍団を率いて南宋領の徐州・光州攻略に功績を挙げた(第一次南宋侵攻)。1244年(甲辰)、「六皇后(ドレゲネ)称制」と呼ばれる皇帝が不在の時期であったが、大王アルチダイにより万戸に任じられた。この時、濠州・蘄州・黄州などを攻めて功績を残している。

1253年(癸丑/憲宗3年)からは命を受けて睢州を守り、1255年(乙卯/憲宗5年)からは命を受けて海州に移った。このころ、南宋の呂文徳が攻撃を仕掛けてきたが、孟徳がこれを撃退し、太尉の劉海を捕虜とする勝利を得ている。1257年(丁巳/憲宗7年)には襄陽・樊城攻めに従事し、1259年(己未)には息子の孟義とともにクビライの配下に入り、鄂州攻めに加わった。1262年(中統3年)には李璮の乱鎮圧に従事したが、その後老齢を理由に引退し、息子の孟義に地位を譲った。

脚注

参考文献

  • 『元史』巻166列伝53孟徳伝
  • 『新元史』巻153列伝50孟徳伝

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