若駒 健三(わかこま けんぞう、1937年4月20日 -2019年8月31日)は、秋田県南秋田郡五城目町出身で花籠部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。本名は伊藤 健三(いとう けんぞう)。最高位は西前頭8枚目(1961年11月場所)。
現役時代の体格は170cm、83kg。得意手は右四つ、上手投げ、内掛け。
来歴・人物
15歳の時に二所ノ関部屋へ入門し、1952年5月場所で初土俵。翌場所、「大響」の四股名で序二段に付いた。
この頃、郷土の先輩でもある元前頭3枚目・大ノ海久光が率いる芝田山部屋(後、花籠部屋に改称)へ移籍している。
2場所現役を務めるも、諸事情により、一時廃業。1953年9月、同部屋に再入門し、再度「大響」の四股名で序二段から再出発した。
以来、順調に出世し、番付に再び付いて僅か1年4ヵ月ほどで幕下に上がった。だが、これから約5年に亘り、この地位にて低迷した。
1960年7月場所、幕下上位で7勝0敗と好成績を収めて優勝し、翌9月場所で新十両昇進。同年11月場所では、12勝3敗の好成績で十両優勝も果たした。
1961年9月場所、24歳で新入幕し、若乃花や若三杉らと共に花籠部屋「七若」の1人として活躍した。
幕内を計3場所務めたが、女性問題でやる気を失ってしまい、1962年3月場所限りで廃業した。
相撲は動きの早い、小兵だった。
将棋が強く、化粧廻しにも将棋の駒を描いていたという(柄は、王将であった)。
廃業後は、建設関連の企業を立ち上げ、その代表者を務めた。
1988年頃には、『ドリフ大爆笑』(フジテレビなどで放送)の「もしもコーナー」で、相撲コントの相手力士役として出演した。
2019年8月31日23時死去。
主な戦績
- 通算成績:215勝153敗63休 勝率.584
- 幕内成績:18勝27敗 勝率.400
- 現役在位:45場所
- 幕内在位:3場所
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1960年11月場所)
- 幕下優勝:1回(1960年7月場所)
場所別成績
幕内対戦成績
改名歴
- 大響 健三(おおひびき けんぞう、1952年9月場所-1953年1月場所・1954年1月場所-1957年3月場所)
- 羽後響 健三(うごひびき - 、1957年5月場所)
- 羽後光 健三(うごひかり - 、1957年9月場所-1960年1月場所)
- 若駒 健三(わかこま - 、1960年3月場所-1962年3月場所)
関連項目
- 大相撲力士一覧
参考文献
- 『戦後新入幕力士物語 第2巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社、1990年)p446-p448
- 『大相撲』(読売新聞社)
- 大相撲写真画報『ふるさとの名力士』(日本スポーツ出版社)
脚注




