勝 命雅(かつ のぶまさ)は、江戸時代中期から後期にかけての御家人、旗本。旗本勝家の当主。鉄砲玉薬同心から昇進して広敷番頭になる。
勝海舟の高祖父である。また外孫に塩谷正房や大岡義方がおり、幕末大奥御年寄である瀧山の曾祖父、小納戸役の塩谷正路の高祖父でもある。
生涯
近江国坂田郡勝村を発祥とする物部姓勝家の出で、天正3年(1575年)より徳川家康に仕えて鉄砲玉薬同心となった御家人の勝時直(市郎右衛門)から4代目の勝家当主となり、初めは歴代同様に鉄砲玉薬同心となる。
その後、表火番から支配勘定に転じて、宝暦2年(1752年)に御家人から旗本に家格を進めて、材木石奉行となる。明和5年(1768年)に広敷番頭に就任する。
安永6年(1777年)に死去。享年68。息子の勝曹淓(安五郎)が家督を継ぐ。
脚注
参考文献
- 『新訂寛政重修諸家譜 第3』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、1964年)
- 寛政重修諸家譜 巻百五十二
- 『新訂寛政重修諸家譜 第22』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、1964年)
- 寛政重修諸家譜 巻千五百一



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